鎌倉 十二所神社  2018/11/22

      2019/10/06

主祭神:天神七柱、地神五柱
社格等:村社
創建:不詳 (伝)弘安元年(1278年)


源頼朝が鎌倉の鬼門に当たるこの地に 朝比奈切通しの整備に際して守護神として熊野三社大明神を勧請し創建した「熊野十二所権現社」がはじまりで、創建は不詳ですが、「吾妻鏡」によると「北条政子の出産に際して奉幣使が派遣された…」、「十二所神社のほか諸社に源頼家誕生を祝って神馬を奉納した…」との記述があり、鎌倉幕府成立の頃にはすでにあったものと見られています。

鳥居へ

国之常立神をはじめ天神七柱、そして天照大神をはじめ地神五柱、合わせて12柱を主祭神とする「熊野十二所権現社」、相模風土記稿には、「光觸寺境内に熊野十二所の社あり、是を村の鎮守とす」とあり、「十二所」という地名もこの神社に由来し、当初光触寺境内の地にあったとされています。その後、江戸時代末期の天保9年(1838年)、別当寺院を務めていた明王院所蔵の記録『十二所権現社再建記』によると、明王院の住職恵法が社頭再営を志し、氏子三十余軒による土地や用材の寄進によって現在地に遷座されたとの記録があります。そして明治維新とともに政府が発令した神仏分離により「十二所神社」と改称、明王院の所管に属しましたが、明治6年(1873年)に村社に列格されています。

社殿

京浜急行バス「十二所神社」で下車、まっすぐ伸びた石段を十数段上り、鳥居をくぐって境内に入ります。社務所はなく社殿と岩盤の祠があるくらいです。ひっそりと佇む社殿、境内は独り占めですがちょっと寂しいくらい。鎌倉市の東端に位置し、観光客も少ない十二所ですが、創建時には幕府の鬼門にあり、周辺にも大寺が創建され鎌倉の東の要地だったといいます。はじめての十二所エリア、もう少し古刹巡りを続けます。

かつて大きな被害を与えた天然痘を引き起こすとされた疱瘡神を鎮めるための「疱瘡神祠」(左)と宇佐八幡(右)

山の神の社

 - 金沢街道・二階堂, 鎌倉