鎌倉 常楽寺  2018/11/22

   

宗派:臨済宗建長寺派(創建当初は密教系)
開創:嘉禎3年(1237年)
開基:北条泰時
開山:退耕行勇
本尊:阿弥陀三尊

全51ヶ条からなる幕府の新しい基本法典「御成敗式目」を制定した鎌倉幕府第3代執権・が眠る臨済宗建長寺派の寺院「常楽寺」、北条泰時が夫人の母の追善供養のために嘉禎3年(1237年)に建てた「粟船御堂」が始まりで、源頼朝・北条政子夫妻の帰依を受けた退耕行勇が開山しています。泰時の死後、遺骸はこの御堂に葬られ、その法名を取って「常楽寺」と称することとなります。

山門

仏殿

鎌倉幕府第5代執権・北条時頼の深い帰依を受けて鎌倉に招かれた南宋から渡来した禅僧・蘭溪道隆が住持となり宋の禅を広めます。時頼も説法を聞くため足繁く通ったと伝わります。その後、建長5年(1253年)に北条時頼に招かれ建長寺を開山(初代住職)した蘭渓道隆ですが引き続き常楽寺の住職も兼ねることになります。この時期、幕府の体制も安定し、建長寺は鎌倉における禅宗の中心寺院になっていきますが、それ以降も臨済宗建長寺派においては「常楽は建長の根本なり」と重視され続けます。

文殊堂

本殿

庫裡

鎌倉五山第一位の建長寺を差し置いて、その根本と言わしめた常楽寺、古都鎌倉の中心地からは離れた大船にあって観光客も疎らで静かな境内ですが、密教から臨済宗へ移ってゆく開山僧・退耕行勇のごとく鎌倉仏教の確立が垣間見られるような歴史を持ちます。父・頼朝の命によって許嫁の木曽義高を失う大姫、哀しみのあまり20歳という若さで生涯を終えます。仏殿裏にある北条泰時の墓、背後には「関係者以外立入禁止」の札が、木曽善高の墓はその奥なのか・・・ 辺りをくまなく探すものの見つからず諦めて境内を出ましたが、境内を出た裏山に木曽塚があったことを後で知りました。拝観時間前でしたから庫裡で聞くこともできず残念なことをしました。父・木曽義仲は大津の義仲寺に立派な墓があるので義高の墓もてっきり境内にあるものと思い込んでいました。岩船地蔵つながりで訪れた常楽寺、またひとつ宿題をつくってしまいました (-_-)zzz

北条泰時の墓

本殿脇の庭園

参道左手は北条泰時が自ら手植えをしたといわれている大銀杏

 - 大船, 鎌倉