京都 清閑寺  2018/11/08

   

寺名:歌中山淸閑寺
宗旨:新義真言宗
宗派:真言宗智山派(創建当初は天台宗)
本尊:十一面千手観音
創建年:延暦21年(802年)
開基:紹継
中興年:長徳2年(996年)以前
中興:佐伯公行

東山連峰の第30峰・清閑寺山の麓にある真言宗智山派の寺院「清閑寺」、延暦21年(802年)、比叡山の紹継法師によって天台宗の寺院として創建されますがしばらくして荒廃、その後一条天皇の勅願寺として大いに栄え、鎌倉時代後期から南北朝時代までの間に真言宗に改宗されています。

山門

最盛期の寺域は東西5町・南北6町と清水寺と並ぶほどの規模になり、室町時代になってもその勢いは維持されて東山山中に威容を誇った清閑寺でしたが、応仁の乱で伽藍を焼失・破却されて荒廃、以後、荒廃と復興が繰り返されます。明治維新後の明治4年(1871年)、社寺領上知令によって寺領の大部分が上地として官有地に編入され寺運は著しく衰退しますが、昭和時代初期に境内の整備が行われ十一面千手観音を安置する本堂と鐘楼(茶室「郭公亭」は平成3年に解体)を残して現在に至ります。

本堂

鐘楼

鐘楼の前に立つ「大西郷月照王政復古謀議旧跡」の石碑、「大西郷」は西郷隆盛の敬称、「月照」は清水寺成就院の住職です。鐘楼の上方に幕末の時期、西郷隆盛と清水寺成就院の月照上人が密談した茶室「郭公亭」が改修を続けながらも残されていましたが腐食による老朽化が進んだため平成になって解体されています。

境内

「平家物語」の悲恋で知られる、小督局ゆかりの寺「清閑寺」、高倉天皇の寵愛をうけた小督局が平清盛によって尼にさせられたと伝えられる寺院、高倉天皇は深く心を痛め、自分が死んだら局のいるこの寺に葬るよう遺言を残して二十一歳の若さでこの世を去られ、そして局は天皇の死後、生涯にわたって菩提を弔ったと言われます。

二基の宝篋印塔(小督局と紹継法師)

要石

早朝、京都駅から市バスで「馬町停留所」下車、渋谷通を東へ進みます。国道一号線を潜るようにして清閑寺の登り口へ、高倉天皇陵を左手に・・・ 今夏の関西を襲った台風の爪痕がここにもまだ残っていて大きな倒木が陵前の石段を塞いでいます。ショックを受けながら境内に続く石段を上り山門を抜けると嘘みたいに穏やかな世界に行きつけて思わずホッとします。そして巨石の一部が露出している要石、ここから扇を開いたように京都市街が眺望できます。今では小さなお寺になってしまっているけどかつては清水寺と肩を並べるほど巨大な寺域を誇っていた由緒ある真言宗の清閑寺、ようやく初参拝ができました !!

高倉天皇後清閑寺陵

 - 京都, 洛東