奈良 円成寺  2018/03/03

      2018/12/16

山号:忍辱山(にんにくせん)
宗派:真言宗御室派
本尊:阿弥陀如来
創建年:(伝)天平勝宝8年(756年)
開基:(伝)虚瀧、聖武・孝謙両天皇(勅願)

奈良市街から柳生に向かう柳生街道沿いの忍辱山町にある真言宗御室派の古刹「円成寺」、楼門の前には平安時代の面影を残す藤原期の浄土式庭園(名勝に指定)が広がり四季折々の景観が楽しめます。境内には国宝に指定されている鎮守社の春日堂と白山堂、藤原期の阿弥陀堂様式の本堂、宇賀神本殿、楼門(以上重要文化財)、多宝塔などが建ちます。現在の多宝塔は平成2年(1990年)の再建で、取り壊した旧多宝塔初層部分の材は鎌倉へ送られ、長寿寺の観音堂はこれを用いて建てられています。寺宝では国宝に指定されている運慶作の「木造大日如来坐像」をはじめ木造阿弥陀如来坐像、木造四天王立像が重要文化財に指定されています。

浄土式庭園

本堂

護摩堂

創建については諸説があるところですが、寺伝「和州忍辱山円成寺縁起」によりますと、天平勝宝8年(756年)聖武上皇・孝謙天皇の勅願で唐僧虚滝和尚の開山とされています。その後、万寿3年(1026年)に命禅上人が十一面観音像を安置し中興、文正元年(1466年)の応仁の兵火により堂宇の大半を失いますが、栄弘阿闍梨を中心に復興が開始されて約20年かけて復興されます。江戸時代には将軍の殊遇を受け、山内23寺をもつ一大霊場となりますが、幕末の動乱と維新の神仏分離以降は衰退、本堂、楼門、護摩堂、観音堂、鎮守三社を残すのみとなります。明治15年(1882年)、盛雅和尚の晋山以降、荒廃した伽藍の大修理がはじまり、先代賢住和尚の時代に改修を終え今日の姿が整います。

楼門

多宝塔

寺伝とは異なりますが、万寿三年(1026年)命禅上人が「忍辱施寺」と称し創建、応仁の乱後に京都鹿ケ谷にあった円成寺を移して再興・・・ 仁和3年(887年)、宇多天皇の病気平癒祈願のために、藤原淑子が勅命を受けて、椿ヶ峰に祠を建て少彦名命を奉祀したのが始まりとされている京都にある「大豊神社」、創建当初は、椿ケ峰にあって大宝大明神と称され円成寺の鎮守神であったとのこと。円成寺は応仁の乱(1467年-1477年)で被災して廃寺になり鎮守社の大豊神社だけが残され・・・ 大豊神社の縁起にも残されているお話です。京都東山の椿ヶ峰西麓にあった円成寺を忍辱山に移し忍辱施寺の現号が円成寺に改称されます。

鎮守社「春日堂・白山堂」(国宝)

宇賀神本殿

この近くでは浄瑠璃寺の庭園を彷彿とさせる池泉回遊式庭園、平安時代の末法思想からなる庭園を極楽浄土に模した浄土式庭園、ここから楼門を眺める光景はよく写真で見ますが、なかなか来られずこれがはじめての参拝でした。以前は多宝塔に安置されていた国宝「木造大日如来坐像」、現在は新しく建てられた「相應殿」に移され、おかげさまで間近にはっきりと見ることができます。広い境内ではありませんが、国宝の春日堂と白山堂はもちろん、美しい本堂、内部に安置される御本尊などなど・・・ と見どころたくさんで庭園派も伽藍派も仏像派も、みんなが満足できる「円成寺」、Very Good !! でした。

鎮守拝殿

鐘楼

 - 奈良, 柳生