鎌倉 小動神社  2018/02/16

   

主祭神:建速須佐之男命、建御名方神、日本武命
社格等:村社
創建:文治年間(1185年-1189年)佐々木盛綱
再興:建武年間(1334年 – 1338年)新田義貞
本殿の様式:権現造

腰越の小動岬にある「小動神社」、佐々木盛綱が父祖近江国の八王子宮を勧請するにあたり、江ノ島詣での時に風も無いのに揺れる小動の松を見て、「天女遊戯の霊木」と絶賛して文治年間(1185年~1189年)に八王子宮を創建したと伝わります。その後、明治時代になって神仏分離令が出された際に「小動神社」へ改称します。長く浄泉寺の境内続きにありましたが昭和時代半ばに国道134号線が敷地内を分断して通ることとなって現在の場所に収まります。

拝殿

源頼朝に伊豆配流時代から仕え源平の合戦に活躍した佐々木盛綱が、文治元年(1185年)、合戦勝利の神恩報賽として創建したと伝えられる「小動神社(八王子宮)」、その後、鎌倉幕府が確立されます。時は移って元弘3年(1333年)5月、新田義貞が鎌倉攻めの戦勝を祈願に訪れ、討幕成就の後に太刀と黄金を寄進して再興したと伝えられます。

金刀比羅宮と稲荷社

七里ヶ浜の西端にある小動岬、風もないのに揺れる「こゆるぎの松」、この地名に因んで名付けられた「小動神社」、主祭神は「建速須佐之男命、建御名方神、日本武命」となっていますが、勝利祈願の神様はやはり第12代景行天皇皇子、日本古代史上の伝説的英雄の「日本武命」でしょうか、それにしても鎌倉幕府樹立に向けた戦の勝利祈願と鎌倉幕府討幕の戦の勝利祈願、神社の創建と再興に鎌倉幕府の生誕と滅亡が大きく関わったお話でとても興味深いことです。

拝殿の扁額

 - 稲村ヶ崎・腰越, 鎌倉